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由乃伎神社



海部郡内に、「由乃伎」と称する神社は、現在の愛西市柚木町に鎮座する「由乃伎神社」一社で、式内社由乃伎神社(ゆのきのじんじゃ)は、当社と比定されているが、江戸時代は「神明」と称されていて、隣村の日置村にある八幡社をあてる異説もある。。

「由乃伎」は、地名で、現在は「柚木」の字をあてている。

【所在】

愛知県愛西市柚木町東田面773に鎮座する。

「柚木(ゆぎ)」は、北は津島市に接し、南端を佐屋路が通り、松並木は街道の名残となっていた。

【祭神】

祭神は、昭和27年の神社明細書は、はじめ祭神不詳としたが、後に「日子湯支命(ひこゆきのみこと)」に改めている。

日子湯支命は、「旧事本紀、天孫本紀」によると、宇摩志麻治命の子(饒速日尊の孫)で物部氏に連なる。

祭神についても、他に、崇神天皇の皇子「大入杵命」、天照大神など異説があるが、本来、祭神不詳とするのが妥当のようだ。

【由緒

「村史」に創祀の詳細な記載があるが、式内社調査報告では、創立年代も含め不詳としている。

「村史」の記載は、

「さて、この命をこの里に社を建て斎き奉る所以は、神武天皇御東征相済み橿原に奠都(てんと)し給われるも大和国以東の国々は、未だ王澤に従い奉らざりしかば、軍勢を遣わして征伐せしめ給う。伊勢国風土記に天日別命を遣わして平らげしめ給えるが、この日子湯支命も御親神以来代々物部の将師の家なれば、同じく物部の軍勢を率いてこの出征に加わりたまい、最先鋒となりて我尾張国まで攻め入り、このあたりに御軍を屯在せしめ、御子孫これを統率してこの地方を開拓し、生民を撫育し給える故にその子孫のこの社を建て給えるものならん。その軍卒の屯して御子孫のますによりてこの地名を負い、また祀れる神の名によりて神社の名に称するなり」

【社殿】


社殿は、拝殿(明治39年9月造営)・祭文殿(明治43年11月造営)・本殿(造営時期は不詳)と続き、南向きに建つ。

本殿は、神明造檜皮葺。


屋根瓦などに神紋は見られない。


【参拝記】

2013年11月13日の自転車での式内社巡りの3番目に訪れた。

佐屋街道を西へ、津島に入って南へ、名鉄尾西線の「日比野」駅の南西ちょっとのところに式内社の「由乃伎神社」があった。


一の鳥居から長い参道が続き、二の鳥居に到る。

二の鳥居をくぐると正面に石製の透かし塀があり、「鯉の滝登り」と「「波間を飛ぶ千鳥」が彫られている。

 
 

境内に小さな社が祀られていたが、どのような神様が祀られているのかは不明。


ここから北へ、途中津島の旧街道を走り、津島の市街地を抜けてさらに北上、式内社の「宇太志神社」へ向った。